2006 トリノオリンピック観戦記              BY 〜 GSSを世界に知らしめた男=天山のぬし 〜
この物語は、、、じゃなくて実話は、佐賀県佐賀市の天山スキー場のぬしが、サッカーの熱狂的サポーターにも負けない熱き(下)心をもってはるばるイタリアはトリノまで日本代表を応援しに行った記録的レポートである。最も注目されたハーフパイプ競技では、GSSのワッペンを胸につけたぬしがテレビカメラに映し出されるという快挙を成し遂げ、GSSを世界数十億の民に知らしめる功績を残した。次はバンクーバー!期待しておりますぞ(笑)

まえがき

わてが、てんざんのぬしである! 九州は佐賀県にある天山スキー場の・・・・・しかし、社員でもなければ、もちろんアルバイトでもない。しかし、なぜか、人呼んで、てんざんのぬしなのである。おまけに、GSSのメンバーでもない! では、何故にしてトリノまで行き、さらには、スノーボードの会場バルドネッキアにて、GSSを世界に知らしめたのであろうかと、疑問に思う君達は、あまい! それは、男が男に惚れたからである・・・・・「な〜んだ、てんざんのぬしは、ホモだったのか!」と考えた諸君には、ぬしに、かわって天罰が下るであろう。そうではない、オリンピック、スノーボードチームのS監督、GSSの代表松里氏両名の生きざまに惚れたのである。ただ、それだけの、些細な理由からである。で、あるからして、頼まれもしないのにGSSのワッペンを貼って、日の丸の寄せ書きを持って、トリノまで、のこのこと応援に出かけた次第で、ただそれだけの事である。この旅行記は、わてが独りぼっちでレンタカーを運転し、悪戦苦闘の末トリノオリンピック、スノーボード男子・女子HPを応援し、かねてからの夢だった、ドイツロマンティック街道の終着点にある、ノイシュヴァンシュタイン城を、これも苦労の末、拝むことができた実話である。全行程、実に2,700キロをレンタカーで単独走破し、そして最後の仕上げにロシア、サンクトペテルブルグでやっと、ゆっくりと、まったりと、愛人、もとい友人と過ごすことが出来た、旅行記なのである。その旅の一部始終を、ぬしがこの目で見て、聞いて、感じた事を、包み隠さず活字にしたものなので、不適切な表現がいたるところにある。「けしからん」「不謹慎」とおしかりをうける事もあろうかと思うが、どうかご勘弁を願いたい・・・・・そして、GSSの青少年諸君! 君達の中には、近い将来、スノーボードで世界を転戦する御仁も誕生する事であろう、この旅行記を読んで、ぬしの、シブ〜イ作戦を決して、まねしないように、くれぐれも忠告しておく。なお、この旅行記に登場する人物は、ぬしと、ロシアの愛人、もとい友人を除く全てが実名である、といっても、カーチャ、ロベルト、マータ、ステファニー、くらいであるが・・・・・最後に、ぬしの旅行記を掲載してくださった、GSS代表松里 啓氏には、この場を借りて、心より感謝を申し上げるしだいである。


妄想

2006年2月8日、出発を明日に控え、ぬしは忙しかった。思い起こせば今回のミッションは、2004年アテネオリンピック終了の後、すぐに発動されたのであった。もちろん、ぬしの頭のなかでの事であるが・・・・・何かシブ〜イ作戦を考えねばならぬ、オリンピックにかこつけて・・・・・ぬしが来るのを、首をなが〜くして待っている大勢の女性達、某国の彼女に会おうか、いやいやそれでは、かの国の彼女の立つ瀬がない、などと、一人考えをめぐらす、ぬしであった。ぬしが、ヨーロッパに来るというニュースは瞬く間に彼女達に広まり、(自分で電話をしまくったのではあるが)・・・・・すでに、ぬしと言う、金メダルをねらって、彼女達の熱き戦い、トリノ前哨戦、世界美女オリンピックの幕は切って落とされたのであった・・・・・それから一年半、ほぼスケジュールは固まった。本来なら何カ国でも回って、次々と、彼女達に、いい顔をする作戦も出来なくはないのだが、逆に、下心を見抜かれ、総スカンを食う恐れもある、女とは【おとろしい】生き物なのである。青少年の諸君! よく覚えておくように!と言う事で、かの国の女性に決めて、一緒にミラノからレンタカーでトリノを目指しトリノ滞在の豪華オリンピック応援、大名旅行を決め込んだ、ぬしであった。もちろん、最後はロシアに立ち寄る事も忘れずに・・・・・



ぬしの運命を変えた、ヘルシンキ空港である

天罰下る

1月に入っても、取れないのである、トリノのホテルが、である。エアーチケ
ットの手配はぬしの大学時代からの友人に頼んでいる。以前、ブカレスト行き
のチケットを頼んだとき、ブタペスト行きを手配しそうになり、危うくぬしを、ハン
ガリーに送り込もうとした男である。しかし、ぬしがいつも無理難題を持ちかけ
るので、さぞ鍛えられたであろう彼は現在、某旅行会社、某支店の支店長で
ある。ぬしと違ってえらく出世したものである。以前から、しかも再三「ホテル
は取れないよ」と釘を刺されていたことなので、これ以上、真の友人を苦しめ
るわけにはいかぬ。あっさりと予定を変更するぬしであった。宿が取れぬ、の
ならミラノ入りには、何の未練もない、地図を見るとスノーボードの会場である
バルドネッキアは、フランスのほうがかえって近いではないか。と言う事
で、急遽スイスのチューリッヒに入り、そこからレンタカーでバルドネッキアを目
指すシブ〜イ作戦へと切り替える、ぬしであった。臨機応変、ぬしの得意とす
る技である。(結果的には大正解であった、イタリアの空港はどこも大混乱で
荷物がなくなるなど、とんでもないことになっていた)。しかし、下手をすると野
宿もありえる今回のミッションである、しかも厳冬のヨーロッパ。そこに、か弱
い女性を同伴させるなど日本男児、いや、葉隠れ武士として、もってのほか。
えらい! もっとも、野宿中に職務質問でもされ、言葉がわからないまま、誘
拐犯にされ国際問題にでもなったら、しゃれにもならんので。今度償いをする
から、と言うことで、かの国の女性には丁重にお断り申し上げた。やはり、神
は見ていたのである。一転して野宿という試練を、ぬしに与えたもうたのであ
った。パツキン美女同伴で大名旅行のオリンピック観戦などという、ふしだらな
計画を立てた自分を深く恥じ、トリノの方角に向かって深く頭をたれる、てんざ
んのぬしであった・・・・・


前途多難

一人旅と言う事で、かえって気が楽になった。なんせ、自分の事だけ心配すれば済む。ここまで来たら行く、しかないのである。過酷な試練を乗り越えてこそ、応援にも力が入るし、帰りのロシアが楽しいのである。(なんのこっちゃ)最終的に関空→ヘルシンキ→チューリッヒ→ヘルシンキ→サンクトペテルブルグ→ヘルシンキ→関空という空の行程は決まった。レンタカーもチューリッヒの空港で借りられるよう手配をしてもらった。夜8時頃の到着なので、念のため空港近くのホテルも一泊だけ予約もした。ここまでは、完璧なプランである・・・・・問題は、その後であった・・・・・昨日、ロシアの愛人、もとい友人に、『過酷な旅に成るかもしれないが、ロシアで君に会えるのを楽しみにがんばるよ』とシブク電話をしていると、『日本も、メダル取れるといいわネ!!応援、しているわヨ!!』さすがロシア、余裕である・・・・・『ところで、トリノへ行ったら私のお姉さんを、訪ねてネ!お願いヨ!』『へっ?』イタリアに居るのは知っていたが、まさか、トリノに居るとは?『カチューシャ』『何や頭に着けるやつかいな?』『名前よ、カーチャでいいわ』愛人、もとい友人の話では、イタリア生活が長く、雑誌関係の仕事をしていて、恋人のロベルトとその母親と3人暮らしとの事であった。住所と電話番号、ついでに姉さんの写真が、メールで送られて来た。妹同様、美人であった・・・・・しかし、所詮他人の恋人である。この時のぬしは、わざわざ日本から訪ねるのに、てぶらじゃ失礼だし、かといって荷物はすでに限界まで詰め込んでいたので、お姉さんの事など、もお、どうでも良かったのである。フランスに泊まることも考えていた位なので、会えなかった時の言い訳など考えていたのであった。もお、ここ数日来の忙しさで、ぬしの明晰な頭脳は限界点にきていたのであった。


立場が逆転

2月9日、ぬしは、トランジットでヘルシンキ空港にいた。イタリアの現地で唯一の頼りである、スノーボード界の大御所S監督は、『大丈夫、現地へ行けば何とかなるから』とだけ言い残し、携帯の電話番号も教えずに、8日、すでに日本を出国していた・・・・・ご苦労なことである。『まあ、なるようになるさ!』とつぶやきかけたその時、ふと、一年ほど前にGSSの掲示板にイタリアはコネさえあれば、何とか乗り切れると書いた自分がいたのを思い出したのであった。『それや!』姉ちゃんが、トリノにおるではないか、時差ボケのせいで、ボケていた、ぬしの明晰な頭脳を逆に取り戻すことが出来たのであった。(本当の話である)携帯を引っつかむように取り出して、ロシアの愛人、もとい友人に(くどい)電話を掛けたのは言うまでもない。『お願いだから、姉ちゃんのアパートに泊めてくれるよう頼んでくれへんか?』『だめよ!ママとロベルトと姉さんの3人で住んでいるのよ、部屋もそんなに大きくないの』『そんな、殺生なこと言わんで、な、な、たのむ!』『なんだったら、ロベルトと姉さんと、川の字になって、寝てもかまへんし・・・それがだめなら、ママと添い寝してもかまへんから』こちらは必死である。『何、馬鹿なこと、言ってるのよ!』(本当に怒られた)・・・・・『でも、他に泊まる所がないか、また、お姉さんに頼んでみるわ。とにかく気を付けてネ!』優しい女である。こうして、完全に立場は逆転してしまったのであった。昨日まで、『過酷な旅に成るかもしれないが、君に会えるのを楽しみにがんばるよ』などと、シブク会話を交わしていたぬしであったが、今や、ロシアの女帝、エカテリーナ2世の前でひれ伏す、家来に成り下がってしまったのである。背に腹は替えられぬ、もはや彼女に媚を売るしかないのである。彼女の返事しだいでは、イタリアでの唯一のコネが、水の泡となり、また振り出しに戻ってしまうのである。そして、不安を抱えたままチューリッヒへと、向かう飛行機にぬしは、乗り込んだのであった。


天は我をいまだ見放さず

チューリッヒの空港についに、到着したぬしであった。『う〜む』懐かしい空港だ、などと言いたいところだが、スイスは生まれて初めてである。入国したのかしないのか、スイスはあっという間に、到着ロビーに出た。素早く書店を探す、ユーローマップを買うためだ。スイス・イタリア・ドイツ、3冊まとめてお買い上げ。1冊、14.80スイスフラン、日本円にして1,350円程か、シブイ、もとい高い! が、仕方がない、これしかないのである。今回の、ミッションに、ぬしは、日本のガイドブックは1冊しか持参していないのである・・・・・『地球の歩き方』と答えた諸君は、まだまだ初心者である、今後も、GSSのニュージーランドキャンプはスタッフと同行して参加するようにお勧めする。『ロンリープラネット』と答えた諸君は、ロンリーだけは正解である。なぜなら、ぬしは、ロンリーだからである・・・・・驚くなかれ、それは『るるぶ情報版ロマンティック街道・ドイツ』という、おもいっきりミーハーなガイドブックなのであった。そう、あの憧れの城、ルートヴィッヒ2世が造らせたノイシュヴァンシュタイン城(白鳥の城)のガイドが載っているからなのである。だから、それが何? と聞かれても困るので話を先に進ませてもらおう。ハーツのレンタカーオフィスに行き日本からの予約の紙を提出する。もちろん4駆である。ヨンクと聞いて4tトラックと勘違いした、諸君は、GSSで永遠に、シゴキ上げられる事であろう・・・・・かわいそうな事である。用意された車は、なんと世界のトヨタ、4WDラブフォー、走行距離4,000キロ、新品である。これなら安心できると確信したぬしであった。空港を出て、ホテルも程なく見つかった。さすが日本から予約できるだけあって立派な、ぬし好みのホテルであった。シャワーを浴び終え、ビールを片手にテレビを見ている、ぬし、シブすぎる!『あっ、いかん、電話や!』ここ、スイスはロシアとの時差が2時間になっていたのであった。余裕をこいている場合ではない!慌ててロシアの彼女に電話をする、『遅くなってごめん、道に迷っちゃって、今ホテルに着いたから安心してネ!』『電話、遅かったから心配していたのよ!それと、良いニュースがあるの!!』『宿のこと?』『そうよ、部屋は用意出来たわ、それと、食事も用意するので1泊120ユーローは、払ってほしいと、言ってるの、大丈夫?』今や、トリノでは、300ユーロー出してもホテルが見つからないご時勢である、金額の件は、二つ返事でOKした。『わかったわ、それと1つだけ問題があるの』ぬし『何や!?』彼女『・・・・・』ぬし『はよ、言わんかいな!』彼女『同居人が2人いるの・・・』ぬし『泊まれるん、やったら、何人おっても、かまへんがな』彼女『女の子2人なの・・・』ぬし『へっ!?』彼女『大丈夫?』なにをもって、「大丈夫?」と聞くのであろうか?野宿覚悟の旅から、一転して、ハーレムである、もちろんこれも、二つ返事でOKしたのであった。


南君と出会う

2月10日、いよいよ、トリノに向けての出発の朝が来た。住む宿も確保した、地図も買った、ガソリン満タン、愛車はトヨタ ラブフォー 4WD、ホテルの朝食も満足、言うことなしである。チェックアウトの際、フロントの姉ちゃんに、18日も、1泊するからと、予約を頼んでおいた。ヨーロッパでの最後の夜、旅の疲れをこのホテルで癒し、ロシアへと旅立つ為である、シブイ! トリノまでのルートは昨晩、ホテルの部屋で頭に叩き込んである、南に向かいさえすれば良いのである。ざっと見て450キロ位の距離なので、高速を使えば、時間にしても4〜5時間、こうなればちょろいものである。ここで、「うんうん」と頷いている諸君! 君達は、スイスの野犬の餌と消えることであろう・・・・・人間、何事も最後の詰めが肝心なのである、転ばぬ先の杖とも言う。それを熟知している、ぬしは、鞄から小さな、あるものを取り出したのであった。それは、日本の某カーショップで購入した、ゴルフボールより少し小さい、方位磁石であった。エライ! しかも東西南北と、漢字でしっかりと書かれている物である。それをハンドルの前のダッシュボードに、ペタンと貼り付け、全ての準備は整ったのであった・・・・・『フフッ・・』我ながら完璧である。今こそ出発の時は来た、レッツラ・ゴーと出発したのであった。高速にもすぐに乗れた、一気に150KMの速度でイタリアを目指す、ぬし。方位磁石もしっかりとを指している、完璧なドライブである・・・・・

かれこれ、1時間は走ったであろう、何気なく見た標識に、ぬしの身体は凍りついた。べつに、ここが厳冬のスイスだからではない・・・・・標識に書いてある文字に、である。【イ・ン・ス・ブ・ル・ッ・グ】と書いてあるではないか、『へっ!?』これでは、イタリアとはまったく反対の方角である。しかし、方位磁石は相変わらずを指しているのである、『はて!?』もお、なにがなんだか、わからなくなってきた。とりあえず、冷静になるために、パーキングを見つけて駐車する、ぬしであった。そういえば、怪しいと思える節は幾度かあった、カーブで、方角が変わってもあまり磁石の針が振れないのである。確認のため、駐車場内をゆっくりと車で一回りしながら、磁石を観察すると、全部南を指して動かないのである、『へっ!?』ぬしの、目が点になった瞬間であった。日本からわざわざ持ってきた、最後の詰めに足元をすくわれたのであった・・・・・取り付けた場所が悪いのかと思い、いろいろ試したが、やはり、ダメであった。しょうがないので、南君と命名して、彼の任務を解き、ぬしの、旅のパートナーとして、ご同行いただくことにしたのであった。


南君のおかげで・・・いまだにスイス

地図で確かめてみたら、目の前がオーストリアとの国境であった。『えらいこっちゃ!』 急がねば。幸い今の地点から南下すれば最終的には、当初予定の高速に、合流するようにはなっているので、安心したのであった。今度は遅れを取り戻すため150KMでぶっとばす。車も少ない、緩やかだが徐々に登りとなって行った。時刻はすでに、正午である、心なしかというより、完全に、雪に包まれて走っている状態に周りの景色が変わってきた。前方に、なにやらレストランらしきものがあるではないか、ついつい、誘惑に駆られて、ふらふらと車を止めた。車を出ると、極寒の世界であった、『う〜さぶ〜』ぬしは、知らぬ間に標高2,065メートルまで駆け登っていたのであった。店をのぞくと、客は誰もおらんし、軽食もなさそうである。こんな店でオーダーでもして、ジジイが「今から作りますので」などと、言われでもしたら、食い終わるまで1時間は覚悟しなければならない。明るいうちにトリノにたどり着かなかったらそれこそ・・・・・考えただけでも恐ろしいことである。1台ほかの車が来たが、考えることは、外人といえども、ぬしと同じであった。また、ひたすらハンドルを握り運転するぬしであった。午後3時である、本来なら、トリノに着いている時間である。しかし、我慢して運転したおかげで、イタリアも、もう近い。ガソリンスタンドで給油をしてレジに行く、カフェがあったので、腹も減ったしコーヒーとサンドを頼んだ。テーブルに着くと、なんと、先ほどのレストランで、ぬしと同じ行動をとった、親子3人がサンドを食っているではないか。はて!?あの時は、息子とばかり思っていたが、(3人とも馬鹿でかい、190CMはあろう、ずう体をしていた)近くでよく見ると娘であった。しかも、娘だけ特大のサンドを食っていた。大きく育つわけである・・・・・『おやっ!?』そういえば、トリノの姉さんに、まだ土産を買っていなかった。もう直ぐイタリアである、小物なども販売していたので、ついでに土産も購入したのであった。エライ!『おっ!そやった』トリノの姉さんが心配しとるかも知れんので、6時ごろには着くだろうと、ロシアに電話をしたのであった。

この人物、確かに男と思ったのだが・・・


イタリア国

F1レーサーと化す

ついに来たのである、イタリアの国境なのである。トリノまで、残る距離は30
0キロあまり、今度こそ、最後の詰めが肝心なのである。イタリアに入ると、車
の数も随分と増えた、スイスでは150KMで走っていた、ぬしであったが、そ
れは、他の車がほとんどいなかったからである。状況はたちまち一変した、片
側3車線、右側は、(左ハンドルなので、日本とは逆である)主にトラックが12
0KMで走っている、真ん中の車線は130〜140KMの車、左の追い越し車
線は、推定180KMのキチ〇イドライバーがブイブイいわせているのである。
さて、ここで、質問である。皆さんは、どの車線が一番安全だと、お考えに
なるであろうか!? 右側と答えた、諸君はやはりGSSで永遠にシゴキまく
られることであろう。ご苦労なことである。真ん中と答えた諸君!実際にイタリ
アで運転することを、お勧めする。ただし、命の保障はいたしかねる。答えは、
そう、追い越し車線なのである。皆、ウインカーも出さず車線を変更する、しか
も、走行車の直前に、である(車2台分、ひどいときは1台分)、130KM〜14
0KMで走行中の車の前にである。日本ではキレタ兄ちゃんが時々する、
いやがらせと、言うやつである。当然、被害にあうのは右と真ん中の車線を
走行している連中なのである。たとえ、あおられても、160KM位で追い
越し車線を走るほうが、安全と悟ったぬしであった。エライ!と、まあ、そう
言う訳で、ミラノを通過しあっという間にトリノに着いたぬしなのであった。


迷走

トリノに着くことには着いたぬしであった。がっ、思った以上に町が広いのである、『えらいこっちゃ!』 持っている地図といえば、日本でインターネットからプリントしたA4版市内地図、チューリッヒで買った、イタリア全図の片隅の、トリノ市内地図のみである。あまりにもアバウトである。トリノに着いて既に2時間を経過していた、まさに迷走である、陽もだいぶ傾いてきた、どないしよう! その時、狭い路地の道端に立って人待ち顔でタバコをくゆらせている、1人の女性が目に入った。ぬし好みである、年の功は35歳位、なかなかの美人である。ここで車の窓越しに、ハーイなどと、道を尋ねるぬしを、想像した諸君は、やはりGSSで厳しく鍛えあげられる事であろう。もちろん、まかり間違って「ハウ マッチ?」などと、聞こうものなら、国際問題にでもなっていた事であろう。礼節を重んじる、これ、日本人の美徳である。ぬしは、車を降りて、その女性に道を尋ねるのであった。『MADOMA.CRISTINA〇〇ドコデスカ?』紳士である。結局、目的地の4ブロックほどの所に、来ていたのであった。目的の場所にも着いた、電話をかけ、ついにカーチャと対面することが出来た、ぬしであった。カーチャにお土産をわたし、恋人のロベルトを待つことしばし。すぐに、ロベルトは現れ、英語も少しではあるが、話せる、結構いいやつ、そうである。『イタリアのサッカーチームはどこが好きか?』と、聞いてきた、意表を付かれたぬしは、心の中で(俺はセリエAを見るためにイタリアに来たのではないゾーッ)と思いつつ、知っている数少ないチームの中から、『パルマ』と答えた。一瞬あたりに寒い空気が流れた・・・・・しかし、ロベルトは、大人であった、『ユ・ユ・ユ・ユ・ユ・』と言うのである。ユベントスと答え、ぬしは、救われたのであった。アパートはここから、徒歩1分のところであった。ロベルトの案内で部屋に入る、出迎えた女性は、その名をマータという、シシリー島出身の、黒髪、黒い瞳のエキゾチックな感じのする、女性であった。職業は医者との事である。ぬしの、部屋に案内される、キッチンも兼ねたリビングルームであった。12畳ほどはあろうか、ロベルトは仕事がまだあるので、帰るとの事である。ぬしはそっと、ロベルトに、遥々日本から持ってきたある物を、差し出したのであった。日本が世界に誇れる最先端技術を駆使して開発した物であった。初め、ロベルトは『へっ!?』と言う顔をしていたが、流石にイタリア男、物事を理解し、ぬしのプレゼントをポケットに仕舞い込んだのであった。



カーチャの家にて、
向かって右端がマータ

ステファニーとの出会い

マータの話では、同居する女性のもう一人は、看護婦で、名は、ステファニー
と言う事である。まだ、仕事から帰ってないらしい。「ステファニー」何と言う心
地の良い名前の響きであろう、華麗な女性を想像するぬしであった・・・・・
これではロシアの彼女も心配する訳である。旅の荷物をといて、テレビのオリ
ンピック開会式を見ていると、ドアをノックする音がする。『COME IN!』 現
れたのは、真っ黒い肌の女性であった・・・・・『はあっ!?』しかも、首にはドー
ナッツのような形の巨大な首輪、しかも、白である。ステファニーとの初対面で
あった・・・・・『へっ!?』思いもしなかった展開に言葉も出ない。それにも増し
てケッタイなスタイルに、ぬしは、言葉も出なかった。『はてっ!?』このファッ
ションが、今のイタリアのトレンドなのか!?・・・・・などと、考えながら。ステフ
ァニーは、もじもじと、照れ笑い、ぬしは、愛想笑いを、するしかないのであっ
た。そこに、マータが現れた、『ステファニーは、コンゴ出身なの、イタリアに住
んでもう長いのよ』『あっ、それから彼女昨日、自動車事故に遭って、怪我をし
たの、可愛そうでしょ!』鞭打ちであった・・・・・


アパートの窓越しの風景

機嫌を直したステファニーと

最低と言われようとも

トリノデビュー

翌11日は、ステファニーが午後からトリノの中心を案内してくれるという・・・・・
ぬしは、困った。トリノには、今、世界中から数多くのメディアが来ているので
ある。もちろん、わが祖国日本からも。そんな時、ケッタイな首輪をした(
療用ではあるが)ステファニーとぬしが、2人歩いている所を、映像にで
も取られて、日本、いや世界に配信でもされたら・・・・・考えただけでも、
怖ろしい事である、笑いは取れるであろうが・・・・・とりあえず、『まあ、考えと
くよ』と、当たり障りのない返事をしておいたぬしであった。約束の時間が迫っ
てきた、ステファニーが再びぬしの部屋に聞きにきた。『長旅の疲れもあるし、
明日は早くから男子HPを観に出かけるので』、と言い訳をいいつつ、キャン
セルを宣言した。『友達も、呼んでるのよ』『それなら、なおけっこう、2人で行
けばええやんけ』ちょっと、可愛そうであったが、しかたがない。ステファニーは
がっくりと、肩を落としてぬしの部屋から、出て行ったのであった。ジャージの
まま、ソファーベッドでごろごろ、していると。またも、ドアをノックする音がす
る、『なんや!また、ステファニーかいな!?』面倒くさそうに寝返りを打つと、
そこには別人が立っているではないか、『へっ!?』しかも、ぬし好みの
女性である。『どうして、あなたは、行かないの?』『一緒に行きましょうよ!』
ステファニーに、ついさっき、色々と理由をあげて、断ったばかりである。どうし
て、神はぬしに対して、こうも、幾多の試練を与えたもうのであろうか?
 しかし、ぬしは、2秒後にはオーケーと返事をしていたのである。人は、ぬし
の事を「最低」と言うだろう・・・・・彼女の運転する車で、いそいそと、3人は出
かけたのであった。


次回、いざ、バルドネッキアへ 編へつづく・・・